あの時は、考えてもいなかった。
私が未知を選んだということは・・・・ハルが、私の前からいなくなるかもしれない、ということ。
殴り合うふたりを止めたくて、憎しみあうふたりをもう見たくなくて、切羽詰まって、頭が真っ白になって、そして出した選択が『未知』だった。
なのに
なのに
なのに
なのに・・・・。
「・・・・・・・・ハル」
ハルを想うと、涙があふれてたまらなくなる。
胸がいっぱいになって、息が苦しくなって、ハルのことを想うだけで切なくなって、そして愛しさがこみ上げてくる。
結婚したばかりの頃も、こんなことがあった。
相手はハルじゃなかったけど、私は未知以外の男性に心惹かれてしまった。
温かい家庭でぬくぬく育った未知と、どちらかといえば、子供には無関心の家庭で育った私。
未知から注がれる愛が重くて、いつも全力で愛してくれる未知に息苦しさを感じて、私が少しでも疲れた顔をすれば、未知は自分の愛が足りないからだと自分を責めて、抱きすくめるように私を愛して、私は更に息苦しくなって・・・・・そんな、悪循環の日々を送っていた。
疲れきった私を、その彼は包み込むようにして癒してくれた。
未知と比べれば、大人びた雰囲気を持っていた彼。
どこか影のある、寂しそうな姿に私は自分を重ねていた。
私のことを、彼は好きだと言った。
私はありがとうと受け止めながらも、彼の想いに応えることは・・・・一度も、なかった。
私はただ、息抜きのできる場所がほしかったのだ。
そしてその『場所』を与えてくれたのが、あの時の彼だった。
ひとりにはなりたくない。
でも、未知といると息苦しくて、溺れそうになる。
つかず離れず、私を好きだと言ってくれる彼に、私は居心地の良さを感じていただけ。
未知といることに疲れれば彼の元へ行き、そのやさしさに包まれて癒された。
最低な言葉で言うならば、私にとって彼は『都合の良い男』だったのだ。
ハルのように、強引に私を抱こうともしない。
抱きしめてはくれても、未知のように力いっぱいの抱擁もない。
出て行く私を引き止めようともしなければ、未知から奪うようなことも一切しない。
だから私は心をかき乱されることもなければ、必要以上に彼を求めることもなかった。
ある日ふと、私にとって彼は『いらない』存在になっていることに気づいた。
月日の流れが、未知と私を夫婦にした。
結婚した頃よりも随分大人になった未知は、ただ情熱だけでなく、安らぎを与えてくれるようになった。
未知が今まで与えてくれなかったものを、他の誰でもなく、未知自身が与えてくれるようになった。
その地点で、私にとって彼はいらない存在になった。
結婚してから、既に8ヶ月の時が過ぎていた。
その間、私は一度たりともその彼と肉体関係を持つことはなかった。
残暑の厳しい、秋口だった。
私は彼に言った。
「もう、こうして、ふたりきりでは会わない」
この時、彼は初めて私を引き止めた。
「どうして?」
あまりにもの自分の身勝手さと、初めて私を引き止めた彼に胸が痛んだ。
だがそれだけで、愛しさなどこみ上げることもなければ、涙がこぼれることもなかった。
彼と私の幻のような恋は、そこで終わった。
幸せになってほしいと言って、彼は私の手を、そっと離した。
そしてまた・・・・・・私は、同じようなことを繰り返そうとしている。
未知以外の男性に心惹かれ、そしてまた、その人の手を離そうとしている。
最愛の夫は未知。
最愛の人は未知。
ただ、あの時よりも明らかに違うのは・・・・・・私は、ハルを心から好きだということ。
手を離すのがたまらなく辛くて、ハルが私の前からいなくなることがたまらなく怖い。
選んだのは未知。
私が選んだのは、未知。
「ハル・・・・」
もう、決めたのに。
昨日、決めたのに。
私は、未知を、選んだのに。
なのに・・・・・・。
「思い出が・・・・・ほしいの・・・・」
ハルの荷物がまだあることにホッとしながら。
『散歩中。すぐ帰る』
食卓の上に置かれた、ハルのメモにホッとしながら。
私は、未知に言った。
「・・・・・一日だけ、時間を下さい。一日だけ、ハルと、ふたりで・・・・・・」
そして、忘れるから。
そして、終わりにするから。
だから・・・・・・。
「・・・・玲子」
未知が、私をそっと抱き寄せた。
「ごめんね、未知。ごめんなさい、ごめんなさい・・・・」
私はしゃくりあげながら、未知の胸に額を押し付けて泣いた。
未知
ハル
未知
ハル
未知
ハル
未知
ハル
未知
ハル
ハル
ハル
ハル
ハル
ハル
ハル・・・・・・・・・・。
せめて、最後に、思い出がほしい。